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東京地方裁判所 昭和38年(刑わ)6553号 判決 1967年7月31日

被告人 佐藤昭松 外二名

主文

被告人佐藤を懲役四月に、被告人宮島、同大柴を各罰金五、〇〇〇円に処する。

但し、被告人佐藤に対しては、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

被告人宮島、同大柴が前記各罰金を完納しないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は全部被告人三名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

一、被告人らの地位と本件犯行に至るまでの経過の概要

(1)  被告人らは、いずれも日本国有鉄道(以下、国鉄と略称する)の職員で、うち、被告人佐藤は昭和三三年以降国鉄動力車労働組合(以下、勤労と略称する)本部中央執行委員の地位にあり、昭和三八年七月から同本部教宣部長をしていたもの、被告人宮島は昭和三六年頃から動労東京地方本部新鶴見支部執行委員長の地位にあつたもの、被告人大柴は昭和三四年頃動労東京地方本部国府津支部執行委員となり、昭和三七年頃から同支部執行委員長の地位にあつたものである。

(2)  国鉄本社では、輸送及び動力の近代化の進展に即応し、新製動力車両の配置及びこれに対する検査修繕体制の合理化をはかるため、昭和三六年九月頃その諮問機関である車両検修委員会の答申に基づき、昭和五〇年頃までに車両の集中的配置、基地の集約化、従来運転部門において実施していた車両中間検修の工作部門への移管等を実現することとし、具体的には各支社ごとに実情を勘案してそれぞれ年次計画を樹てた上逐次実施するとの方針を決定し、その後国鉄関東支社管内東京鉄道管理局は、国鉄本社の前記方針に則り、昭和三八年一〇月を目標として尾久、田端両機関区を統合する計画を樹て、これを実行に移さんとしたが、国鉄当局から事前に右車両検修委員会の答申内容等について説明を受けた動労は、現存する動力車基地の統廃合及び中間検修の工作部門への移管は、人員整理、配置転換、その他労働条件の低下を招来し、更に運転保安上にも悪影響を及ぼす虞れがあること等を理由として車両検修委員会の答申内容の実現に反対する態度をとり、労使双方間に根本的な対立を宿したまま意見の一致をみることなく推移するうち、当局側が組合の反対にもかかわらず基地集約化、検修合理化等を全国的に強行する気配のあることを察した組合側は、昭和三八年六月の全国大会及び同年一〇月の中央委員会の決定に基づき、実力を行使してでもこれを阻止するため、各支社管内別に一箇所以上の拠点を指定し、最も効果的な時期に勤務時間内職場集会を開くとの闘争方針を定め、闘争準備を整えていたが、尾久、田端両機関区の統合の実施期日は工事進捗の都合により昭和三九年一月に延期されたものの、その実施期日も目前に迫つたので、動労中央本部は昭和三八年一二月五日付で傘下各地方本部に対し、当局が一方的に基地集約化、検修合理化等の計画を強行せんとしつつあることに抗議し、併せて安全輸送体制の確立を当局に要求するため、同月一三日を期して一九時を基準とする二時間の勤務時間内職場集会を実施すること、参加対象者は当日指定箇所の実施時間帯に出勤し又は勤務中の動力車乗務員及び非乗務員とすること、指定箇所は関東ブロツクにおいては東京地方本部管内の尾久、田端地区とすること、実施方法の細部については、中央本部から派遣する中央執行委員が具体的に現地で指示すること等を内容とする闘争指令を発するとともに、同月一一日国鉄本社に対し、動力車基地と車両検修方式の問題について同月一三日までに決着をつけたい旨団体交渉の申入れをなし、同月一一日から同月一三日にわたり両者の間において団体交渉が行なわれたが、その席上組合側は車両検修委員会の答申に基づく当局の方針の白紙撤回方を要求し、当局側はこれを拒否して互いに譲らなかつたため、一三日夕刻にいたり、交渉は遂に一時決裂するにいたつた。

(3)  これより先、動労中央本部から前記闘争指令を受けた東京地方本部は関東地方評議会傘下の他の各地方本部の支援を受けて一二月一一日から闘争態勢に入り、尾久、田端地区で実施する職場集会に参加させるため、予め組合所属の機関車乗務員の身柄を組合の支配下に確保することを目的として、同日正午から勤務明けの乗務員の収容を開始したのであるが、国鉄当局は勤務時間内職場集会の実施により列車の運行に支障を来すことを恐れてかねてから、組合に対し職場集会実施の中止方を申し入れていたところ、組合側でいよいよ乗務員の収容を開始するに及び、これに対抗して職制、公安員を動員し、列車運行を確保するために乗務員の身柄確保に乗り出したので、同日夕刻頃から当局側と組合側との間で、乗務を終えて機関区に戻つて来た機関車乗務員の争奪が行なわれ、小競合いすら生ずる有様であつたが、結局同月一三日朝までに当局側は相当数の機関士及び機関助士を確保することに成功したので、同日乗務を命ぜられている機関車乗務員が午後七時から二時間の勤務時間内職場集会に参加しても、当局側において確保した乗務員をその交替要員として乗務させることにより列車の運行に支障を来さないことが予測される状況となつたため、組合側は、乗務員が右職場集会に参加するため就労を拒否することにより列車、殊に旅客列車の運行に支障を来たさせて国鉄当局に打撃を与え、もつて当局との間に現に行なわれつつある団体交渉の結果を組合側に有利に導びかんとする当初の企図があらかた意義を失なうことを憂慮し、同日午後三時過頃から被告人佐藤も加わり、現地戦術会議を開きその対策を協議した結果、たまたま同日上野駅一九時五三分発東北本線黒磯駅行第五二五旅客列車に乗務を命ぜられて前記職場集会実施時間帯内の一九時六分頃機関車を運転し尾久機関区を出区する予定の同機関区勤務機関士石橋益雄、同機関助士柳田昭司の両名が動労組合員であつて、しかも同人らの身柄は目下組合側で確保し旅館に収容中であることに着眼し、尾久地区については職場集会の開始時刻を特に三〇分繰り下げて一九時三〇分からとし、右両名に対しては就労する際に職場集会への参加を説得要求することなく、同人らが機関車を運転して同機関区を出区するのを放任しておき、同人らの乗務する右第五二五列車が上野駅から旅客を乗せて尾久駅構内に入つて来てホームに停車した際に同人らに対し職場集会への参加を要求し、勤務を暫時放棄させることにより、同列車の運行に支障を来たさせて闘争の効果を挙げようと企図し、右石橋機関士及び柳田機関助士にはその事実を知らせないで旅館から身柄を解放し、同人らをして就労させるにいたつた。

(4)  被告人佐藤は、他の中央執行委員と共に動労中央本部から田端、尾久地区における闘争指導のため派遣され、その任に当つていたが、尾久地区における職場集会の実施を指揮するため、また、被告人宮島、同大柴は東京地方本部傘下の各支部執行委員長として右職場集会を支援するため、それぞれ同日午後尾久機関区構内に赴いたが、同日午後六時四〇分頃までに同機関区構内動労東京地方本部尾久支部事務所前付近に東京地方本部傘下の組合員及び応援の他地方本部傘下の組合員等約三五〇名が集合したので、午後七時頃被告人佐藤が右組合員らに対し、当局との交渉経過の伝達、今後の行動の指示をなし、次いで右組合員らは三班に分れ午後七時一五分頃被告人佐藤に率いられて尾久客貨車区洗滌台付近に駈足で赴き、同所付近において喚声をあげたり労働歌を合唱したりして気勢をあげているうち、午後八時頃、前記第五二五列車が尾久駅ホームに到着するや、被告人佐藤の指揮の下に同列車先頭の機関車付近に押し寄せたのであるが、その際、被告人三名は次の如き犯行をなした。

二、犯行

被告人佐藤、同宮島、同大柴は、昭和三八年一二月一三日午後八時頃、東京都北区上中里七七六番地先国鉄尾久駅構内において、機関士石橋益雄が運転し、機関助士柳田昭司が補助者として同乗する東北本線上野駅発黒磯駅行第五二五旅客列車が右尾久駅下り線ホームに到着するや、右列車の運転業務に従事中の石橋機関士及び柳田機関助士を職場集会に参加させるため、ほか約三五〇名の組合員とともに同列車先頭の機関車付近に押し寄せた際、前記組合員一五〇名余と共謀の上、被告人宮島、同大柴において右の内一五〇名位の組合員と共にスクラムを組み停車中の機関車の直前約二~三メートルの線路上に立ち入つた上、被告人佐藤の指示に応じその場に数列縦隊のまま蹲まつて同列車の進路を塞ぎ、一方被告人佐藤において同機関車前部デツキによじ上り、運転室中央前面出入口扉の前に行き、同様デツキに上つた組合員数名とともに、あるいは手拳でガラス窓を叩き、あるいは足で扉の下方を蹴り、「開けろ」、「降りろ」と怒鳴るなどして運転室内部の前記石橋、柳田両名に下車を要求したが、両名はもともと職場集会に参加する意思はなく、同列車を運転して宇都宮駅まで乗務するつもりであつたので、これに応ぜず運転室内に閉じこもつているうち、同機関車右側後部の窓から一、二名の組合員が車内に入り運転室前部出入口扉の鍵を内側から外したので、被告人佐藤はデツキから運転室内に入り、石橋機関士が「乗務中ですから」と断わつたのにも耳を藉さず、右両名の意思に反しその腕を抱え持つなどして柳田機関助士、石橋機関士の順に前部デツキ上に出させ、前後をとりかこむようにしてデツキから夫々下車させた上、機関車左側方の組合員らのスクラムの中に組み入れさせて右両名を尾久機関区転車台付近まで連行させ、かくして右両名の意思を制圧して同列車の運行を同日午後八時四四分頃にいたるまで不能ならしめ、もつて威力を用いて国鉄の列車による輸送業務を妨害したものである。

(証拠)<省略>

(当事者の主張に対する判断)

被告人及び弁護人らの主張は多岐に亘り詳述するのであるが、要するに、公共企業体等労働関係法(以下公労法と略称する)第一七条第一項は憲法第二八条、ILO第八七号条約に違反する無効の規定であること、争議行為に関与したことに対する制裁として刑罰を科することは憲法第一八条、ILO第一〇五号条約に違反すること、公労法第一七条第一項に違反してなされた争議行為といえども労働組合法(以下労組法と略称する)第一条第二項、刑法第三五条の適用のあること等を前提とし、本件における被告人らの行動は正当な組合活動であるから違法性がないというに帰するのである。

よつて、案ずるに、公共企業体等の職員のする争議行為を禁止した公労法第一七条第一項の規定が、憲法第二八条、第一八条に違反するものでないことは、既に最高裁判所累次の判例の示すところであり、殊に、昭和四一年一〇月二六日大法廷判決(以下大法廷判決と略称する)は、憲法第二八条の定める労働基本権は、単に私企業の労働者だけについて保障されるのではなく、公務員及びこれに準ずる公共企業体等の職員も原則的にその保障を受けるべきものであるが、労働基本権といえどももとより何らの制約も許されない絶対的なものではなく、国民生活全体の利益の保障という見地からの制約を当然に内包しているものと解すべきであること、いわゆる五現業及び三公社の職員の行なう業務は多かれ少かれ国民生活全体の利益と密接な関連を有し、その業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたら虞れがあること、公労法第一七条第一項は、公共企業体等の職員につき争議行為を禁止し、その違反に対する制裁として解雇、損害賠償責任等を認めているが、このような意味で争議行為を禁止することについてさえも、その代償として、公共企業体等の職員については、公共企業体等との紛争に関して公共企業体等労働委員会(以下公労委と略称する)による斡旋、調停及び仲裁の制度を設け、殊に公益委員をもつて構成される仲裁委員会のした仲裁裁定は、労働協約と同一の効力を有し、当事者双方を拘束するとしていること、従つて、公労法第一七条第一項に違反した者に対して右のような民事責任を伴う争議行為の禁止をすることは、憲法第二八条、第一八条に違反するものでないことを明らかにしている。当裁判所もこの見解を正当と認め、これに従うべきものとする。

弁護人等は右大法廷判決が、公労法第一七条を合憲となすには必要な代償措置が講じられていることを不可欠の要件としながら、現在の仲裁裁定で足るとなすことは、仲裁裁定が両当事者を拘束し労働協約の内容をもつことになつているという形式上のことのみをとらえ、公労法第三五条、第一六条により政府を拘束しないという実質に目を覆うものであつて不当であり、現在の仲裁裁定は協約締結の前提となる団体交渉及び争議の実質的代償にはなり得ない極めて不完全且つ不充分なものであると主張する。公労法第三五条は「公共企業体等の予算上又は資金上、不可能な資金の支出を内容とする裁定については、第一六条の定めるところによる」とし、第一六条は「公共企業体等の予算上又は資金上、不可能な資金の支出を内容とするいかなる協定も、政府を拘束するものではない」と規定しているのであるが、公労法第一六条の「予算上又は資金上不可能な資金の支出」とは、国家の所定の行為がなければ支出が不可能な場合をいい、予算の移用流用、予備費の使用等の予算上の措置を講ずることによつて支出できる場合を含まないと解すべく、その予算の移用、流用に対する承認もしくは予備費の使用についての決定は内閣又は大蔵大臣の自由裁量に委ねられて居るのであるが、仲裁裁定に基づく債務の履行の場合は右承認ないし決定は所謂法規裁量行為と解すべきであり、右裁定の履行の資金支出の為の予算の移用、流用もしくは予備費の使用が客観的に見て実質的に可能である限り内閣又は大蔵大臣がこれに対する承認ないし決定を拒否し得ないと解すべきである。(この点については、反対の見解があり、仲裁裁定も労働協約と同様に解すべく、単に財政面のみの一方的見地に偏することなく、公正妥当な標準に従つて決定すべきであつて、自由裁量に属するものであるとの説もあるが、仲裁裁定が代償措置であること、公正妥当な裁定として双方を拘束することに鑑みれば、この見解に左袒し得ない)従つて、仲裁裁定は法的に十分に尊重されて居るというべきである。而して、予算上又は資金上不可能な資金の支出となる仲裁裁定であれば、公労法第一六条第二項により政府は国会に付議すべく義務づけられて居るのであり、最終的には国会の承認にかからしめて居るのであるが、これは公共企業体等の本質に鑑み、国権の最高機関である国会の意思によつて決定せしめるのであつて、労働基本権も国政上の要請に一歩を譲らざるを得ないわけである。即ち、私企業においては経営者は労働者の争議行為に対抗して事業所の閉鎖をなし得るし、争議の結果経営が不可能となるという最悪の事態となれば経営者は経営を抛棄することによつて労資関係を終了せざるを得ないこととなり、労働者としてはその生活の基盤を失うこととなる為、労資間の紛争は常に企業の存立を危殆に陥いれないという極限(例えば賃金については企業の全利益の分配以上には出ない)が存するのであるが、公共企業体等においては、経営者として唯一の対抗手段である事業所の閉鎖はなし得ないし、その経営における財政的負担は終局的には国庫に帰することとなるのであるから、その存立は国家と共にありともいい得るところであり、争議の結果私企業の如き最悪の事態を招来することはないのであつて、この意味において、労資間の紛争の極限は、主権者たる国民の批判の他にはないのである。かかる公共企業体等の特質は、その事業が国民生活全体の利益の保障という要請により経営せられるが為であつて、その根底には経済的な面と政治的な面とが混然として存し、労資関係はその要請の下にあるというべきである。(例えば、労賃について見れば、赤字経営の故を以つて従業員の賃金を一般労働者の水準以下となすことが許容されない反面に黒字経営の場合にもその利益を労賃として従業員に還元し得ないのである。)従つて、仲裁裁定の内容が予算上又は資金上不可能な資金の支出を要するものとして、政府が国会に付議した場合に国会は当該公共企業体等の財政面にのみ拘泥せず、広く国政全体の立場から承認するかどうかを決し得るのであつて、かかる制約のあることを以つて、仲裁裁定が代償措置として不完全且つ不充分なものであるということはできないのである。而して、後述の如く、公労法第一七条第一項所定の争議行為の禁止規定はその違反について刑事制裁を伴なわないものと解する以上、同条項の規定する争議権の制限の質的な程度と公労法所定の代償措置とが権衡を失するものとは断じ得ないから、公労法雄一七条第一項がILO第八七号条約の精神に違反するものとはいえないのである。

弁護人等は、国鉄職員の身分関係について、雇傭する主体は特殊法人たる公法人であり、その資本及運営資金は国の支出であり、職員は法令により公務に従事するものとされるという特殊性があるが、右大法廷判決は、国鉄職員の有する労働基本権の公共の福祉による制約は、外因的理由ではなく内在的制約であるというのであるから、右の国鉄職員の特殊性という外因的なもので、その労働基本権を制約されるべきではない即ち、国鉄であるから当然に制約があり、私鉄であるから制約がないというものではあり得ないと主張する。よつて案ずるに、右大法廷判決が「制約は当然に内包している」と判示したのは、「労働基本権は何等の制約も許されないという絶対的なものではない」ことの説明であり、それが憲法の保障する生存権的権利であるが故に政治的な必要等によつて制約し得るものに非ずして、その権利が社会性を帯びることによつて当然に内包する制約、換言すれば、その権利の正当なる限界内において容認さるべきであることを立言したものと解すべく、その限界は国民生活全体の利益の保障という点に存するということである。右判決に「公務員又はこれに準ずる者については、その担当する職務の内容に応じて、私企業における労働者と異なる制約を内包している」とか「国民生活全体の利益の保障という見地からの制約を当然の内在的制約として内包している」とか「憲法第二八条に保障された争議行為としての正当性の限界をこえるもの」とかいうのは、このことを指称しているのである。又同判決が、関係法令の改廃を回顧して、「憲法の保障する労働基本権を尊重しこれに対する制限は必要やむを得ない最少限度にとどめるべきであるとの見地から、争議行為禁止違反に対する制裁をしだいに緩和し、刑事制裁は、正当性の限界をこえない限り、これを科さない趣旨である」と説示したのは、従来労働基本権を直視せず政治的必要等から制約(判決の立場からすれば外因的事情による制約である)したものを、漸次緩和する即ち労働基本権の本質にそう内因的制約に止まらしめようとする傾向にあることを説示したものである。而して右判決が「公務員又はこれに準ずる者については、その担当する職務の内容に応じて、私企業における労働者と異なる制約を内包している」として、私企業労働者の労働基本権の限界と公務員等の労働基本権の限界に差異のあるこるを判示し、更にいわゆる五現業及び三公社の職員の行う業務は、多かれ少なかれ、また直接と間接との相違はあつても、等しく国民生活全体の利益と密接な関係を有するものであり、この業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらす虞があることは疑いをいれない」とし、公共企業体等と私企業の本質の異なることを説示しているが、これは、弁護人等が主張するように、公共企業体等の特質を外因的な事情と見て、その労働基本権を制約する事由としたものではなく、公共企業体等の職員の労働基本権の限界を明らかにする為にその本質を解明したものであつて、その特質は内因的制約の事由として理解すべきものである。思うに、国鉄も私鉄もその輸送業務であることに着目すればその差異はないようであるが、その経営の実体を見るときは、国鉄は国家の出資により、国務大臣監督の下に国民生活全体の利益の為に営利を追及せずして経営せられ、その範囲は日本国内全土に及び、その基幹路線から末端路線に至るもので、旅客、貨物のすべてを取扱うものであるのに、私鉄においては、私企業としてその選んだ路線で旅客或は貨物に重点をおき、営利事業として経営されて居るのであるから、一地方的に見れば、民衆の寄せる関心に左程の径庭はないように見られるが、広く日本国内一般として見るときは、国民大衆の国鉄に寄せる信頼と依存は私鉄のそれに比すべくもないのである。即ち、国鉄が国民生活全体の利益と関連する程度の、私鉄のそれとの差異は、単に量的に止まらず質的なものというべく、その業務の停廃が国民生活の全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあることも極めて明らかである。従つて国鉄の経営は必ずしも経済原則に従うものではなく、又純然たる労資間のみの存在でもないのであつて、国鉄の存続については国家的保障がある反面、その職員の労働基本権の限界も私鉄の従業員のそれとは異なるべきことは当然の事理であつて、このことは官業を重しとする官僚的思考に根差すものではないのである。

而して、右大法廷判決は、公労法第一七条第一項の規定に違反してなされた争議行為であつても、その刑事上の責任については、なお労組法第一条第二項の適用があり、当該争議行為が同条第一項の目的を達成するためのもので、かつ、単なる罷業又は怠業等の不作為が存在するにとどまり、暴力の行使その他の不当性を伴わない場合には、刑事制裁の対象とならないものと解すべであると説示するところであるが、本件事案の判断に当つて当裁判所も右見解に従うこととする。

そこで、被告人らの本件所為が労組法第一条第二項本文に該当する正当な組合活動といえるか否かについて検討するに、まず、本件における勤務時間内職場集会は、現に列車に乗務中の乗務員をも含む動労組合員の一時的な職場離脱ないし勤務抛棄による労務の不提供を意図したもので、これが国鉄業務の正常な運営を阻害する性格のものとして争議行為にあたることはいうまでもないが、右職場集会が企画開催されるにいたつた経緯は既に判示したとおりであつて、終局的には動労組合員の労働条件の低下を防止する等の労働者の地位向上の目的を達成するためであつたものということができる。そして、本件で問題となつている被告人らの所為は、右争議行為を実効あらしめるために、これに随伴する所謂ピケツテングと目すべきものであり、その目的に関する限りこれを不相当とすべき筋合いのものではない。弁護人らは、ピケツテングの正当性の限界について、労組法第一条第二項は所謂暴力行使は許さないと規定し具体的基準を立てていないので、判例では所謂平和的説得論をとるものが多いが、ピケツテングは労使の対抗的、且流動的な場においてなされるものであるから、一面的、静止的に見るべきではなく、労働基本権の集団行使の本質からくる多少の威力は当然に是認されるものと解すべきであるが、本件においては、被告人佐藤の行為は運転室内の石橋、柳田両乗務員の注意を喚起する程度に軽く扉を叩き、集会参加の説得にも格別脅迫的言辞を用いず、同人等が車外に出る時にも腰の辺に手が触れた程度であるから、ピケツテングの正当性の範囲内のものであると主張する。よつて案ずるに、労組法第一条第二項が暴力の行使は許さないと規定して居るのであるから、説得の為のピケツテングは平和的になされるべきであるが、ピケツテングが労資の争議の場において行われることを思えば、些細な実力的行動をも許さずとまで解すべきでないことは弁護人等主張の通りである。しかるところ、本件ピケツテングは、これから機関車を運転し出区せんとする乗務員に対してなされたものではなく、すでに列車の運行を開始し、有機的な運転管制に服して線区に入り、多数の乗客を乗せた通勤列車を運転中の機関車乗務員に対してなされるものであるから、その時期、場所、方法態様等において制約を受くるものといわねばならない。本件第五二五列車の乗務員石橋、柳田の両名は、被告人らと同じ動労の組合員であり、右両名に対し組合本部の指令に基き実施される本件職場集会に参加するよう要求するのは、労働組合の組合員に対する統制権の行使たるの性質を有するけれども、国鉄の輸送業務の帯びている高度の公共性と、争議行為に参加した公共企業体の職員は公労法上解雇等の不利益処分を甘受しなければならないことにかんがみると、争議行為に参加するか否かについては予め組合員に対し十分説得を施した上熟慮の機会を与え、組合員が自由な意思決定に基き自発的に争議に参加する態度に出るのをまつべきであり、右説得にもかかわらず組合員が就労せんとする場合には、団結による示威の域を超えた物理的な力で、就労を妨害することは許されないと解すべく、本件においては、石橋機関士及び柳田機関助士は既に就労し旅客列車を運転中であるから停車時間の短い途中駅においてなす説得は、その発進を阻害しない方法でなされるべきであつて、同人らが機関車に乗務し機関区を出区するまでの間において予め同人らに対し争議参加方の説得を試みておき、列車の発進を阻害された為に己むなく説得に応ずるような事態はさけなければならないのであるが、本件ではかかる措置をとることなく放置していたのであるから、右の如き事情のもとにおいては、被告人ら及び組合員らが本件現場においてピケツテングのためとり得る行動は、機関車の側方に於いて、その進行を妨げない程度の間隔をおいて集合し、車外から運転室内の乗務員に対し団結の示威を背景として職場集会への参加を呼びかける程度に止まらなければならない。してみれば、本件の被告人らの行動は正当なピケツテングの限界を超えたもので、労組法第一条第二項所定の正当な組合活動に該当しないことは明らかである。また、かかる行為が、争議行為に付随してなされたものであつても、その正当性の限界を逸脱し、刑法上の犯罪となる以上正当なる争議行為とはいい得ないのであるから、これに対する制裁として刑罰を科することが憲法第一八条及びILO第一〇五号条約と牴触するものでないことは勿論である。

弁護人等は、前記大法廷判決は「社会の通念に照らして不当に長期に及ぶときのように国民生活に重大な支障をもたらす場合」には正当性の限界を超えるものであるというのであるが、本件では被告人等の行為によつて列車が遅延したのは単に十数分間であるから、右判示の条件からみても違法性はないのである、本件職場集会が尾久駅構内で開かれ、これに乗務中の機関士等も対象とされていることは国鉄当局は予め知つて居り、代替乗務員を確保し、尾久駅構内に待機させていたのであるから、石橋、柳田両乗務員が降車した後、直ちに手配すれば遅くとも十五分内外で、代替乗務員が乗務し得た筈であり、列車の遅れは一五分乃至二〇分程度に止まつたというべく、当局の不手際により遅延が甚しく増大して四四分間に及んだことを、被告人等の責任に転嫁されるべきではないというのである。本件職場集会について、国鉄当局が予め知つて居り、代替乗務員の確保に努め、予定の時間帯に列車運行に支障を来たさないとの見透しを得ていたことは判示の通りであるが右集会の時間が三〇分繰り下げられたことは予め知らなかつたものの如くである。而して国鉄当局は尾久駅に代替乗務員を待機させ、優位に立つたとの観察から堵に安じていたと認められないが、これは次の事情からすれば左程責められるべきことではない。即ち国鉄は私鉄と異なり、公共の福祉を増進することを目的として居り、合理的能率的経営が要求されることは勿論であるが、営利を第一義とするものではないのであるから、国鉄人は経営者であると従業員であるとを問わず、その事業の国民生活に及ぼす影響の重大さを銘肝している筈であつて、争議中と雖も一度国民大衆の用に供すべく運行を開始したる列車に対しては労資双方とも手を触れないとの信義的鉄則のあるものと認むべく、石橋、柳田が本件列車に異議なく乗車し、始発駅である上野駅より発車したのであるから、途中駅である尾久駅において本件のような事態になることは予想もしなかつたと認められる。蓋し、代替乗務員の待機は尾久駅より出区する場合の乗車拒否に備えたもので、国鉄当局が若し本件事態を予測していたとすれば、前々日来熱心に乗務員の確保に努めていたのであるから、途中駅にも公安職員を配置する等の対策を講じたと思われるからである。証人石橋益雄は「当日は一七時頃旅館を出たが、その時一九時迄は平常通りだとのことであつた。尾久駅に着くと闘争時間帯の列車には代替員がいたから、私ら乗務員が来ないと思つていたらしい。私は出区に際して妨害されるのではないかとの心配もあつたが、一九時六分頃妨害もなく出区し上野に着いた。五二五列車は一九時五三分上野駅発であるが、定時に発車したのでホツとした。尾久駅で妨害されることは予想していなかつたので、宇都宮駅迄乗務する考えであつた。尾久駅に入る頃ホームに赤旗等が見え労組員が多数いたので、闘争が始まるのかなと思つたが、私の列車が対象であるとは思わなかつた」旨証言し、証人柳田昭司は「当日は一七時半頃尾久駅に出勤し、一九時一〇分頃出区した。尾久駅では出区出来ないのではないかとの心配があつたが、妨害はなく出区出来、上野駅でも業務放送で警戒を厳重にとのことであつたので妨害があるのかとも思つたが、何らの妨害もなく定時に発車した。上野駅を出る時には尾久駅で妨害されるということは考えなかつたので、宇都宮駅まで行けると思つていた。尾久駅に入る頃ホームには赤旗があり、労組員も沢山居り、列車が止まると多数の労組員が機関車の前面に出て来た。これは予想していない出来事であつた」旨証言して居るのであつて、両人共予想外の出来事に当惑した事情を如実に語つているのである。従つて尾久駅における国鉄当局の狼狽は労組員の行動を信じたことによる不覚さであつて、これを以つて責任を転嫁するものということはできない。而して国鉄は独占的企業とはいえないのであるが、その規模の強大なことからすれば、独占的企業にも比すべく、国民生活全体との関連性が強いのであつて、公共性は極めて強く、国民の国鉄に寄せる絶大な信頼は、運行上の安全さと正確さにあるといつても過言ではない。さればこそ、国鉄は国民生活には不可欠のものとなつて居るのであつて、その運行が阻害されること殊に本件の如く既に運行を始めた後においてその運行が阻害されることは、それが不安感を生じない程度の瞬時のことでない限り、その時間的長短に関係なく、国民生活に重大な支障をもたらした場合というべきであつて、他の列車に対する影響や個々の乗客の具体的支障の度合等を云々してこれを否定し得ないと解すべきである。従つて、遅延が十数分間であつても四四分間であつても本質的差異はないというべきである。

弁護人等は、乗務員には自らの行為を判断する自由があり、その判断に従つて職場離脱をなしたとすれば、その者に対する説得行為は列車遅延という結果の間接的原因であるに止まり刑法上評価の対象とされるべき因果関係に含まれないというべきところ、本件においては、石橋、柳田両名は被告人等動労組合員の行動によつて自由意思の制圧を受けたと見られるところはなく両名共自らの意思に基き職場集会に参加したことは主観的にも客観的にも明白であるから、刑法第二三四条にいう「威力」即ち「犯人の威勢、人数及び四囲の状勢より見て自由意思を制圧するに足る勢力」を用いていないから、同条の構成要件に該当しないと主張する。よつて、案ずるに挙示した証拠によれば、判示の如き事態の下で石橋、柳田両乗務員が機関車より下車し、その為当該列車の運行が約四四分間阻害されたが、右両名が下車するについて被告人等のとつた行動は検察官主張の如く暴力によつて拉致するという事態ではなかつたと認むべきである。而して、証人石橋益雄は「機関車の側窓は開けていたが、尾久駅に入つてから閉めた。この列車が職場集会の対象になつたので、車を止めて私等を参加させる為に労組員が来たと思つた。機関車のデツキの左側から四、五人の人が上つて来て前面の窓を連続的に叩いたが何を云つているかきき取れなかつた。又前面扉の下部をけつた音がした。私も柳田も座席についていたが窓を叩かれたので、柳田が私の所へ来て指示を求めたが、私は暫くそのままにしておくように云つた。その内機関室のホーム側の窓より入つたと思われる労組員が入つて来て、前面の扉を開けたので、前面にいた労組員が二、三人入つて来たが、それと入れ違いに柳田が外に出て行つた。労組員は、私に三〇分位集会に参加してくれと云つたが、私が何も云わずにいると柳田と共に外に出て行つた人が又戻つて来た。私は事態の推移から降りた方が遅れが少くて済むと思つたので、降りようという考えに変つた。それは代替乗務員が居ること、公安職員が一人もいないこと、前日の乗務員確保闘争の時の体験からであつた。運転室を出る時は労組員四、五人が前後に居り、右肩に手を触れた者もいたが、階段は自分で降りた。労組員に囲まれて洗滌線の方まで行き蹲んで居り更に組合事務所の方へ移動したが、労組員とスクラムは組まなかつた。組合事務所前では他の班の者が来るまで職場集会が開けないので、皆から外れて、代替員が乗つていなければ乗務しようと思つて列車を見に行つた。機関車附近で柳田に会い、二人でホームの方へ行こうとしたところ列車はもういなかつた」旨証言し、証人柳田昭司は「労組員が職場集会に参加させる為に迎えに来たと思つた。機関車の左側より四、五人の人がデツキに上り、扉を叩いて開けろ開けろというので、石橋の傍へ行つてどうするかときくと、一寸待てといつた。前面の一人は出入口の扉を叩いたが、囲りが騒いでいたので、音はきこえなかつた。下の労組員が開けろとか降りろとか云つている声がきこえた気がする。私が石橋の傍に立つていると、助士席の裏の扉が開いて労組員が一人入つて来て前面の扉を開けた。上野駅を発車する時に機関室のホーム側の窓は開いていたので、そこから機関室に入れる状態であつた。扉が開くと前面の人が一、二人入つて来て、行こうというので、私は直ぐ出た。その時右肩を叩かれた。それで職場集会に参加する気で降りてから、両腕をとられて労組員の中に入り洗滌線の方へ行き、そこで中腰で二、三〇分いて、機関区の方へ行つたが、転車台の所でスクラムを外したので列より外れた。機関車のことが心配になつたが、そこで石橋を見つけたので二人でホームの方へ行こうとしたところ列車はもういなかつた」旨証言した。これによつて見ると、両名は宇都宮駅迄乗務する気でいたところ予想しない事態の為に困惑し公安職員等の助けも求められないところから己むなく下車した様子が窺えるのである。而して右両証人の証言と検察官に対する供述調書の記載とは相違して居るのであるが、両証人共に、自分の行政処分が懸念された為に、自由意思で下車したけれども、その旨供述出来ず、強制されて下車したように供述したものであると証言したのである。よつて、その検察官調書の記載について検討するに、石橋証人の、昭和三八年一二月一八日付供述調書には「デツキに上つた労組員の内一、二人が扉を連続的に強く叩き足で下の方をけつた。扉が開けられてから柳田は数人の労組員に取囲まれるようにして出た。労組員が私に、出てくれというので、何故出るんだというと、三〇分位だから来てくれというので駄目だと云つた。その人は私の右腕の上の方の服を片手で掴んで引いたが、労組員四、五人が戻り、一人が私の腰を軽く叩いて出ろと合図したので私は抵抗しきれぬと思つて出た。その時は公安職員もいないし、抵抗しきれぬと思つた。降りる時は自発的ではなかつた」とあり、同月二七日付(一)調書には「機関室で労組員は右腕か肩を掴んだので、その手を払う為に立上つた」とあり、柳田証人の同月一七日付(一)供述調書には「尾久駅の状況は予想していないので驚いたが、石橋も驚いた表情で、私がえらい事になつたネと云つても黙つていた。テンダーに五、六人上つて来たが、二人位がドアを叩いて把手を押し、開けろ、鍵を外せ、降りろと云つた。前面のドアを開けられてから前面の人が数人入つて来て、私に、出ろ、降りろといつたが、私が動かないで居るとその内の一人が私の右腕を掴んで引張つた。私は石橋の方へ寄り肩を動かしてその手を離させようとしたが、狭くて動きがとれず後からかかられるか押されるかして、ドアの外に無理に出された。テンダーでは両腕を掴まれていたので抵抗しても無駄だと思つた。尾久駅に着く前は機関車の右側の窓は開けていたが、着いてから、労組員が入れぬように閉めた」とある。この検察官調書の記載によると両名は所謂「自由意思を制圧された」状態で降車したと認め得るのであるが、両名も、かかる行為があつたとすればその労組員等に責任が及ぶであろうことは十分に知つて居る筈であるから、自分の行政処分を免れる為に、故らに他の労組員に責を転嫁するような供述をなすとは思えないのみならず、中央執行委員である佐藤昭松他二人が被告人として審理されて居る法廷での供述であれば、証人等の立場も微妙なものがあり、その供述心理に影響を来たしたであろうことも察せられるのであるから、両証人の述べる如く検察官調書を一概に排斥できないのである。両証人共に前日は動労側に身柄を確保されたのに拘らず何等の説得も、戦術についての指示も受けず、当日の労組員の行動についても予め知らされていないのであつて、宇都宮駅迄乗務する決意で乗車していたのに拘らず、尾久駅において瞬時にしてその意思を変更して下車したということは自由意思によるものと解するには余りにも異常であり、その意思の変更も唐突で納得し難く、渋々と下車したり、更に労組員の列外にのがれて、機関車に乗車すべくホームの方向に戻つたりしたことを作為的演出的行動と見ることはできない。被告人佐藤の検察官に対する昭和三八年一二月二〇日付供述調書には「機関車前面の窓硝子を四、五回ノツクしたが、内から扉が開いたので中に入つた。機関助士に、本部の佐藤中執だが私の指示に従つてくれというと、機関士は乗務の途中だからといい応じそうにないので説得し、肩を軽く叩き腕を持つて外に出ようとしたが、自ら出ようとしないのでその態勢でデツキえ引出した。」とあるところからしても又事態の推移に徴しても、右証人の検察官調書の記載の方が真相に最も近いものと認められるのである。従つて、右検察官調書を採用し、事態を検討すれば判示の如く両証人はその自由意思を制圧されて降車したものと認むべきである。

検察官は被告人等は労組員約三五〇名と共謀して本件を敢行したと主張し、弁護人等は、被告人等が動員された労組員三五〇名と共謀したという為には戦術を決定した当初に遡つて考えなければならぬが、それでは労組自体、争議行為自体を犯罪視しなければならぬのであつて、許さるべきではないと主張する。よつて案ずるに、本件の職場集会自体に犯罪性のないことは縷述を要しないところである。而して、判示の如く昭和三八年一二月五日付で下部に伝達された動労中央本部の闘争指令は、実施方法の細部については中央本部から派遣された中央執行委員が具体的に現地で指示するというのであり、この指令を受けた東京地方本部は本件職場集会を実施し、被告人佐藤が本部派遣中央執行委員として、動員された労組員を掌握し、職場集会の実施を指揮したものであつて、石橋、柳田両乗務員の職場集会参加説得のことについて事前に如何ように協議され、決定され、それが動員者に徹底されていたかについては定かではないが、少くとも列車到着の直前迄には佐藤がこれを決定し、各指揮者に伝達されていたものと認むべく、労組員は、佐藤等指揮者の下に一体となつて職場集会を実施すべく、その方法については指揮者の指示に従うとの一体感の下に集合し、行動したことは一糸乱れぬ統制下の行動に徴し十分に認め得るところである。しかるところ本件はかかる争議行為中違法性を帯びる事態があるとされるのであるから、共謀ありとするには、職場集会を完遂する為に意思統一がなされたということでは足りないのであつて、更に違法とされる事態を共にするとの意思連絡を必要とするものと解すべきである。而して、前示の如く、機関車の側方に於いてその進行を妨げない程度の間隔をおいて集合し車外から運転室内の乗務員に対し団結の示威を背景として職場集会への参加を呼びかける程度の行動は正当なピケツテングとして許容されるものと解するが故に、本件において、違法とされるのは、機関車前面の線路上に蹲り、あるいは機関車デツキによじ上るなどして目前の発車を物理的に不可能ならしめた上運転室内に閉じこもつて職場離脱の意思のないことを明示している乗務員を、その意に反し強制的に下車せしめて同列車を暫時運行不能の状態に陥し入れた行為であるから、列車の進路を塞いだ被告人大柴同宮島等一五〇名位の労組員と機関車に上つた被告人佐藤等数名の労組員並びに各指揮者とは前示違法行為を共にする意思連絡ありと認め得るも、その他の労組員については事前にかかる行動をなすことが徹底され意思統一がなされていたと認むべき証拠はなく、現場において、かかる行動を共にするとの意思連絡がなされたと認むべき資料に乏しいのである。尤も、前記違法行為を認識した組合員、或はそれに声援を送つた組合員は、右行為を共になすとの意思を有していたとも解されないでもないが、認識者の特定はなし難く又行動を伴なわないのであるから一概にその意思を推察し得ず、声援も職場集会参加のみの呼びかけと見る余地があり、石橋、柳田両名が下車した後両名を取囲んで移動したことも、その前の事態をどのように理解していたかが判然としないのであるから、直ちに意思共通の証左とはなし難いのである。従つて、被告人等と共謀したものの範囲は判示の如く認定すべきである。

(法令の適用)

被告人三名の判示所為は刑法第二三四条第二三三条罰金等臨時措置法第二条第三条刑法第六〇条に該当する。

よつて、その量刑について審案するに、

前段説示の如く、既に運行の用に供された列車については、労資共に労働争議の手段の対象外におくべく、事情己むを得ないものがあるとしても乗務員に対する職場集会参加の説得の為にするピケツテングの限界は、その機関車の側方に於いて、その進行を妨げない程度の間隔をおいて集合し、車外から運転室内の乗務員に対し団結の示威を背景として職場集会への参加を呼びかける程度と解すべきであるところ、本件においては、被告人等が右限界を超えた判示の如き行為により、旅客列車を数十分間遅延せしめて通勤客その他の乗客に多大の迷惑を及ぼしたものであつて、その責任は軽視できないのである。

しかし乍ら判示に詳記した如き労資間の交渉経過に徴すれば、被告人等が本件の如き行為を敢行したことも又諒すべき一面があると解されるし、その他諸般の事情を斟酌すれば、被告人佐藤に対しては同被告人が本件犯行の主謀者、指揮者と認められる点にかんがみ懲役刑を選択して処断するのは己むを得ないとしても、敢て実刑を科するまでの必要はなく将来を戒めれば足りるものと思料され、また被告人宮島、同大柴に対しては、同被告人らがいずれも相被告人佐藤の指揮のもとに他の多数の組合員と行動を共にしたにすぎず、右被告人両名よりむしろ犯情の重いと認められるような組合員が起訴を免がれていることをも考慮し、罰金刑を選択して処断するのが相当と認められる。そこで、被告人佐藤については所定刑期の範囲内で懲役四月に処し、同法第二五条第一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予することとし、被告人宮島、同大柴については所定金額の範囲内で右罰金五、〇〇〇円に処し、刑法第一八条により右罰金不完納の場合は金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置すべきものとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条によりその全部を被告人三名に連帯して負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 津田正良 近藤浩武 森真樹)

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